散歩のすゝめ

(前回の話の続き)

 

食事を終えた後、私はその周辺をぶらりと歩くことにした。

 

「来週も美味しいものを食べるぞ!」と先ほどの感動の熱が冷めず、

新しい店を探そうと思ったのだ。

ただ、何もなしに探すのは大変だったので、

とりあえずスマホでさがしてみることにした。

すると、以前行ってみたいな~と思っていた店があったので、

Google Mapで検索をかける。

検索結果は、なんとここから4分でつける場所だった!

 

実際店の前まで行ってみると、「こんな近くにあったのか」と驚きだった。

店も予想より小さく感じたし、街並みになじんでいて、親しみやすさを感じた。

実際に行ってみないとわからないんだなとしみじみ思った。

次はここにしよう!と即決した。

 

ついでに運動がてら、その周辺をぶらぶら歩いていると...

「1冊100円の無人本屋」だったり、

「キャバクラみたいな看板の喫茶店」だとか、

「変な名前のトイレ」とか、

これまで知らなかったものが一杯あることに気づいた。

 

一番驚いたのは、駐車場である。

いつも払っている駐車場の半分で済む駐車代だし、

しかも場所がメイン通りから近い。

ネットでも紹介されていない知る人ぞ知る駐車場である。

「なんでこれ知らなかったんだろう」と落胆すると同時に、

「いいとこみつけちゃった!」とうれしかった。

 

歩くことって疲れるし面倒で敬遠しがちだけど、

車で走っているだけだと気づけないことってあるんだなと思った。

ごちゃごちゃいいましたけど、私の感想としてはこれに尽きますね。

 

いや~散歩って、いいですね。

 

 

休日~美味しい魚料理をのせて~

昨日、久しぶりに昼食を食べに外出した。

 

休日はどうしても「動きたくない」気持ちで重い重い足をあげられず、

結局家にいるのが常だが、この日はそんな心の葛藤も少なく済んだ。

 

というのは、

休日は毎日ジャンクフード三昧で不健康な食生活を送っている自分への

危機感からはじめることにした習慣が一つの要因である。

それは、

 

「1年で48店舗(週末に1店舗)いったことない店に行く」

 

という習慣だ。

1店舗行ったらカウンターアプリをぽちっと押す。

例えば一番初めの店舗をカウントしたなら1/48となり、

48/48までカウントするとゴールになる。

ゲーム感覚でそのカウントをしていきたいという気持ちが生まれ、

自然と外に出るようになるのではないかと自ら考案したものだ。

 

それをはじめてやるということもあり、

自然と外に出ることができた!

そして、かねてから食べたいなと思っていたけれど、

自分のぐーたらな休日の過ごし方で食べることができなかった

あるカフェのお魚の定食を食べることができたのだ!!

そして、その定食のおいしいことのなんの!!!

やっぱ、和食サイコー!!!!

外に出ていなかったら、これを味わえていなかったと思うと、

もったいないことをしているなと

バカなことをしていたなと深く思った。

あと、長い間忘れていたけど

食べることが好きだったんだなぁと思い出すことができた。

過去の自分にありがとうと言いたい。

 

好き勝手過ごすことと、

本当に自分が望んでその行動をすることって、

違うんだなぁー

としみじみ感じたのでした。

 

飲み会

飲み会って、いいなぁ。

 

「お酒が好きで、一杯飲めるから」ではない。

むしろ私はお酒が苦手である。

すぐに顔を真っ赤にさせて、支離滅裂になり、眠くなる。

 

なんでだろう....考えた。

多分、あの開放的な空気感だ

ピリピリとした静かな職場とはかけ離れた

柔らかくてやかましい空間だ

人はその空間では

中学校時代に戻ったみたいな

バカ話もできるし、狂ったように楽しい

自分たちが同じ船にのっているあの一味のように錯覚する

好きなメンツならなおさら

 

こんな毎日ならストレスなんてないだろうに。

でもストレスがあるから、人は開放的になれる

そんなことも聞く。

そう考えたらストレスも悪くないのだろうか。

 

ストレスとも仲良く、ばかみたいな話で盛り上がって、

つきあっていけたらなぁ

なんて思った。

 

 

雑談

あれは、ちょうど15時ごろだったと思う。

 

職場でいつも通りカタカタとパソコンに向かって、

あーでもない、こーでもないとマウスをカチカチとやって

頭をガシガシ書きながら、私は仕事をやっていた。

 

答えのない、深い森の奥にさまよっているような

ただひたすらに手を動かしていた。

 

そんな時、雑談をしている社員の声が入ってきた。

楽しそうに和気あいあいとだ。

その時、私は正直こう思っていた。

「自分は苦しんで、真面目に仕事しているのに.....」

つまり、うるさいなと思っていたのだ。

 

でもよく考えると、

自分もあんな風に和気あいあいとやっていた時期があった。

大学の研究室だ。

レポート制作にいきずまったら、雑談して

レポート制作終わったら、雑談して

どちらでもなくても、なんとなく雑談して....

非常に心地よかった。

苦しかった思い出もあるのに

なぜか思い出したいと思える日々だ。

 

いつからそれを非難する側になったのだろう。

わからない

ただ一つだけわかることは、

自分はうらやましいのだろう。

うらやましいから妬んで

うらやましいから拒絶して

 

私が求めるものなのかもしれない。

わいわい目を輝かせながら、

みんなであーでもないこーでもない考えて、

いきずまったら休憩

みんなで楽しくおしゃべり

そうしていると、いいアイディアが浮かんでくる。

 

馬鹿馬鹿しい夢物語だ。

でも愛おしくて

そこにいる自分を想像してしまう。

 

愚かだと笑ってくれ。

でも、これも私だ。

かっこつけずに認めようと思う。

そして、自分を知っていきたいと思う。

 

 

目を瞑りたくなるような日々

また、失敗をしてしまった。

 

過去にやった自分の仕事に間違いがあったのだ。

モニターを見ながら、自分の間違いを指摘する後輩。

「これはダメだ」と嘲る先輩。

 

消え去りたい....

 

最近はこういったことが頻繁に起こる。

決して怠けていたわけではなく、

むしろものすごく必死にやっていた結果がこれである。

そんな過去の自分が咎められ、

現在の自分の足元でさえおぼつかなくなる。

 

「確認者がちゃんと見なかったのが悪い」

そうフォローを入れてくれる人もいた。

確かにそれもあるかもしれない。

ただ、それだけだろうか。

 

どこか無責任だったのかもしれない。

誰かが見てくれるから。

自分だけのせいではないから。

言われてやっただけだから。

 

当事者意識がなかったのだ。

自分だけこの場で浮いているような感じがするのも

そのせいかもしれない。

やらされている感....

 

お客様がいるのに、不誠実ではないか

正直その通りだ。

しかし、私は懸命に取り組んでいた

このギャップは何だろうか。

 

そこに、愛がないからかもしれない

自分が愛を注げることとは何だろうか。

自分が目指すものと仕事のベクトルが

同じではないようなそんな違和感も感じる。

 

答えはまだでない。

一生でないかもしれない。

でも探さないと出ないだろう。

探さないと、自分の望む自分にはなれないだろう。

 

未来の自分に期待している自分が

まだいたことに驚いた。

 

 

探す日々を始める

「自分のキャリアデザインって、考えてる?」

 

上司との面談の時に、私が聞かれた言葉だ。

「これがやりたいとかないの?

 そろそろ考えていかなくちゃダメだよ。

 自分は何歳でどういった仕事のポジションにいるとか、あと...」

 

私の頭は真っ白だった。

上司のそのあと続いた言葉も、ガラス越しに聞いているような

誰もいない部屋の真ん中で一人いるように、まったく耳に入ってこなかった。

 

やりたいこと...

 

思えば私はそれを避けてきたように思う。

大学になんとなく入って、なんとなく就活して、今の会社に入って....

 

「やりたいことを仕事にしている人なんて、ほとんどいないよ。

 やりたいことをやろうとして、会社を探すのは甘えだよ。」

 

友達、両親、先輩....様々な人にそう説かれてきたし、

自分もそれこそが社会人だと信じてやまなかった。

今更その答えが間違っていたというのだろうか。

 

いや、それが正解であることだってある。

実際にそう説いてくれた人たちは

そうやって、幸せを得てきたのだから、

私に教えてくれたのだろう。

 

では、なぜ私はこの問題に今更ぶち当たっているのだろうか。

わたしは見つけることができなかったのだ。

たどり着いた場所で、ただもがきあがいていたが、

見つかったのは、空洞の私であった。

 

冷たい風が体を通り抜け、寒さを感じる。

 

ゴールの見えないマラソンを走ってる自分に今更気づく。

途端に毎日が苦しくなる。

探さないと一生抜け出せない気がする。

これは、ないものねだりなのだろうか。

 

答えは持ち合わせていない。

だから、まず自分を知りたいと思って、

このブログをはじめたいと思う。

誰のためでもなく。

こんな堅苦しい文を書いている自分を

笑える日が来ることを願って。